教育回想14. 東京都市大学人間科学部「紀要」の発行と巻頭言

 昭和13(1938)年,東急電鉄創業者五島慶太氏は世田谷区の等々力に東横商業女学校を創設しました。昭和30(1955)年,学校法人五島育英会(以下,法人と略)が設立され,翌年に東横学園女子短期大学と校名変更されました。時代は変わり,平成21(2009)年4月には武蔵工業大学(工学部,知識工学部,環境学部)と統合,新たに人間科学部と都市生活学部が創設され,5学部からなる総合大学として東京都市大学が誕生しました。そして,令和4(2022)年4月,人間科学部は等々力キャンパスから世田谷キャンパスに移転しました。また,人間科学部は2023年度より児童学科から人間科学科と科名変更され,「児童学」と「人間総合科学」の2つのコースとなりました。

<  さて, 1965年に創刊された東横学園女子短期大学紀要は新たに東京都市大学人間科学部紀要として引き継がれました。この紀要への投稿原稿には必ず査読が入り,学術論文誌として審査したことを覚えています。どれも萌芽性・独創性が高く,優れた論文ばかりでした。大学は教育機関であると同時に研究機関でもあります。紀要は学部の顔・看板として研究活動や学問的な特色を示すと同時に教員の研究業績及び学部の評価対象物ともなります。総合大学となってから16年が過ぎましたが,紀要の内容はグレードアップし,成長・進化しています。益々の発展を期待しています。

 紀要は大学のホームページで読むことができます。第1号に巻頭言を書いた記憶がありますが,USBに原本がありましたので,以下のPDFに示しました。当時は執筆時間が無く校正もしていないので,読みにくいです。ほんの少し修正しました。(近藤雅雄、2025年12月1日掲載)
PDF:人間科学部紀要巻頭言

研究回想6.世田谷区が福祉区民学会を創設して17年

 東京都世田谷区は、わが国ではじめて福祉に関する施設や事業所,大学,行政及び区民からなる「せたがや福祉区民学会(以下,区民学会)」を平成21(2009)年12月に創設しました。

 区民学会の会員は世田谷区内の福祉施設や事業所で働き,学び,研究する人と区民および行政で構成され,相互に対等平等な立場で,福祉実践活動の工夫や抱える課題などについての研究し,その成果を発表し,学びあい,区民福祉の向上を目指しています。大会は,区内の福祉系大学が持ち回りで会場校となり会員と学生ボランティアが一体となって開催しています。 こうした福祉関係者と住民,学生と行政が一緒になって研究発表する学会は,国内では初めてだろうと思います。そこで,創設時のメンバーの一人として,過去を回想しました。

 東京都市大学が2009年に開設されてから、しばらくして世田谷区社会福祉事業団、世田谷区福祉人材育成・研修センターの河畠修氏と鈴木誠作氏だったと思いますが来学し,区民学会設立に関する主旨、内容についての説明があり、参加要請されました。学会の初代会長は自閉症研究の第一人者石井哲夫先生、そして運営委員長が昭和女子大学教授の永山誠先生といった福祉関係の著名人でした。河畠氏と鈴木氏の熱意に打たれ、参加することを承諾しました。
 運営会議はいつも忙しい時に小田急線成城学園前駅近くにある福祉人材育成・研修センターの研修室Aに午後7時から開催。第1回の運営委員会は10名の委員がそれぞれ福祉の現状と将来を考え、熱心に議論したことを覚えています。当時、大学の加盟校は4校(昭和女子大,日大文理,駒大,都市大)でした。

 現在,区民学会は139団体,10大学が加盟し,設立時とは比較にならない程発展しました。そして,世田谷区の福祉政策・行政は科学的根拠に従ったさまざまな新しい取り組みが行われ,注目されていると聞きます。福祉関連の仕事に従事している人や学んでいる学生にとっては,働き・学び甲斐のある地域であると思います。
 この様な活動は,地域で学び、地域で育ち、地域の発展に貢献すると言った正の連鎖が起こります。現在,地域創生が求められていますが,世田谷区のような行政主導の活動も考えてみてはいかがでしょうか。

 東京都市大学にて第17回大会が今年の11月8日(土)に開催されました。私は13年前に開催した第3回大会の総括を思い出し、下記のPDFに示しました(近藤雅雄、2025年11月26日掲載)
PDF:世田谷学会第3回全体総括2012.2.10

研究回想5.東京大学医学部第三内科第6研究室(6研)

 1971年、国立公衆衛生院に就職してから上司の浦田郡平先生に連れられ、先生の母校である東京大学医学部に行き、第三内科の教授室で中尾喜久先生にご挨拶をしたのを覚えています。中尾先生は血液学の世界的権威者で、第6研究室(血液研究室)を創設しました。
 研究室には、覚えているだけでも高久史麿先生、佐々茂先生、三浦恭定先生、溝口秀昭先生、三輪卓爾先生、今村幸雄先生、元吉和夫先生,青木洋祐先生、千葉省三先生、浦部晶夫先生、浅野茂隆先生,森真由美先生など優秀な先生方が在籍し、世界的な研究が行なわれていました。まさに血液学の頭脳であり、将来を担う優れた人材に溢れていました。超一流の医師であり研究者と同じ場所で研究できたことは私の誇りです。後に、先生方は大学教授などの要職に就かれ、世界の医学,血液学を牽引し、偉大な足跡を残しました。

 私は、浦田先生から共同研究者であった青木先生の下で研究の手伝いをすると同時に血液学を勉強してくるように指示されました。いわば体のいい国内留学です。青木先生は臨床能力が非常に高いと同時に研究能力もずば抜けていました。先生は鉄芽球性貧血症患者の骨髄赤芽球細胞内において、ヘム合成経路の最初の酵素δ-アミノレブリン酸合成酵素活性の減少を世界で初めて発見し、1971年ベルツ賞(一等)を受賞しています。

 6研といっても、一人ひとりのスペースは殆どなく、狭い部屋に何人もの先生方が入れ替わり出入りし、顕微鏡なども共同で利用していました。研究室では幹細胞の研究、エリスロポエチンや多血症マウスを用いた研究、赤芽球や顆粒球コロニーの作成、各造血因子の抽出、白血病治療研究、DNA合成など、先生方のそれぞれの研究内容はわかりませんでしたが、Nature, Lancet、BloodやJCIなど多くの国際的に有名な雑誌に掲載され、血液学に関する先駆的な研究が行われていました。研究室の雰囲気は今でも忘れません。

 研究はたとえ十分な予算や場所、スペース、最先端機器、設備備品などが無くても、やろと思えば24時間、いつでも、どこでもできるものです。重要なのはフロンテア精神、研究したいという意識と熱意です。そういう人々がこの狭い研究室に集まっていました。そして、私の研究者としての人生がここからスタートしました。6研の先生方との運命的な出会いは今でも大切にしています。先生方にこころより感謝します。とくに、直接ご指導を頂いた高久先生、佐々先生、青木先生、千葉先生、浦部先生、森先生にはこころより深謝します。また、人生の恩人、浦田先生に深謝します(近藤雅雄、2025年11月17日掲載)

著書27.自分史「教育と研究」家族との歩みと人生の目的

 両親は5人の子どもを育て、貧しいながらも地域社会の発展に大いに貢献しました。私が高校生の時には、兄姉皆独立して家を出ました。本書(A4版105頁、2021年5月1日発行)は2020~2021年のコロナ禍、これまでの人生を顧みる良い機会として、生誕から今日までの歩みを回想して人生の目的をさらに「前へ」進めるために執筆しました。

 家族の学びとして、父からは「社会の期待に応える生き方」、母から「思い遣りと優しさ」、長男から「家族を大切にする姿勢」、次男から「何でも自分の力でやる精神」、三男から「自分が決めた道を信じて前へ」の言葉をそれぞれ頂き、今でも大切にしています。また姉からは登山の素晴らしさ、「自然を愛するこころ」を教えて頂きました。兄姉で登った白馬岳は初恋の山です。
 家族は生き物が好きで、犬、猫、鳥など様々な小動物、魚類、果実、野菜類や万年青など動・植物がいつも狭い敷地内に寄せ合っていました。これが私の「生命科学への興味」の原点です。
 社会人として、将来への道が拓けたのは国立公衆衛生院での公衆衛生学研究でした。そこで、生命の機序に関わる生化学(biochemistry)研究に興味を持ち、30歳にしてそれを理解してくれた嫁との結婚と同時に、両親と共に生活するための家を設計・新築し、新たな生活が始まりました。そして、11年後に父を、18年後には母をそれぞれ介護、見送りました。
 社会貢献としては、「研究者」の道と同時に、生理学、栄養学の講義を上司より勧められ、「教育者」としての道も歩むことになりました。初めての領域でしたので、夏のボーナスを全額注ぎ込んで国内外の専門書約30冊を購入し、独学しました。執筆者が異なっていたので大変勉強になりました。これが後の研究者としての人生に大きく影響し、「やればできる(不可能なことはない)」「学ぶことに最大の価値を置く」「基本に戻る」が私の精神、哲学となっています。振返れば、業績として論文などの原稿執筆、国内外での講演、特許など、総計1500件以上となり、さらに、講義を45年間行い、教え子は1万人以上になります。年間60件以上の業績を出したことも何度かあります(メニューのプロフィール参照)。現在76歳、良い家族と仕事と仲間に恵まれ、多くの人々に支えられた人生でした。(近藤雅雄、2025年11月16日掲載)

病気と治療10.わが国の医学および医療の問題を独自検証

問わず語り~いつまで続ける西洋医学単一医療

 明治7(1874)年、わが国の医師法と医療制度の根源を成す「医制」が発布されて以来、西洋医学を基礎とした体制が150年以上続いています。医師は患者に対して、診断・治療を理由に、各種検査や投薬、手術、放射線療法、食事療法などすべてを遂行でき、また、看護師、薬剤師、理学療法士などの医療従事者の職務を指示・管理できます。
 日本では専門医制度が発展し、資格を取得した医師による診療が行われています。大学病院など「特定機能病院」では極端に専門化し、高度医療の提供を開始しましたが、逆に専門領域以外の病気は診なくなりました。例えば、血液のがん患者が高血圧症を合併した場合は循環器の専門家に紹介します。肝機能の数値が高ければ肝臓の専門家に回します。このように患者は院内の他科に紹介されます。そして、その都度検査や薬が処方されます。日本の医療の基本は検査と薬物治療です。専門及び総合病院にはからだ全体を診る医師(総合診療医)は少ないので、患者は専門の各科または他の病院へ移動します。
 そして、やがて患者は各診療科の専門医から処方された多くの薬の副作用とその複合作用でどんどん衰弱、がんは転移、さらに、さまざまな検査(とくにCTやレントゲン検査などによる酸化ストレス)と心身疲弊で免疫力が低下、全身のバランス、生体リズム・恒常性が崩れた段階で手遅れ、手の施しようがなく、両手を挙げる如く、お手上げとなりかねません。しかし、総合診療医制など、現代医療が抱えている多くの問題を検証し、抜本的な改革をすれば手遅れにならず、手当てできるようになるでしょう。
 米国では1990年を境にがん死亡率は低下しています。そして、さまざまな医療改革(代替・補完療法(CAM)や食事療法を取入れ、1991年、日本の厚生労働省に当たる行政機関に代替医療局(現在は公衆衛生局)を設置し、1998年には国立補完代替医療センター(NCCAM)を開設した)によって、西洋医学に伝統医学、代替・補完療法などを加えた統合医療が行われています。しかし日本では公衆衛生の部署すら無く、がんの死亡率は今も増え続けています。
 そこで、日本医療の進化を図るために、現代医学が抱えている多くの問題の中から抜本的な改革が必要と思われる以下の4章,15項目について独自検証しました。

 第1章.代替・補完医療と統合医療の進展(①いつまで続ける医師主体の医療,②西洋医学一辺倒の日本の医療,③米国が国立補完代替医療研究センター開設,④薬物依存治療偏重の是非,⑤医師の診察のあり方を問う,⑥大学医学部のカリキュラムの見直し,⑦がん死亡率が減少しない)。第2章.総合診療の拡充を期待(①総合診療を行う医師が少ない,②何故、総合診療医が育たない)。第3章.我が国の医療進化を期待(①医療機関のあり方,②医師の数と家庭医が足りない,③厚生労働省医政局への期待)。第4章.その他の諸問題(①永遠と続く安楽死問題,②臓器移植の停滞,③医師の偏在対策)
 内容は以下のPDFを参照して下さい。(近藤雅雄、2025年10月23日掲載、2025年11月11日更新)
PDF:日本の医療を独自検証2

病気と治療9.がん診療連携拠点病院の相談支援強化に期待

 某有名私立大学医学部附属病院(大学病院)には「がん相談支援センター(以下、センターと略)」があり、「がんに関する治療や検査、療養と就労、教育との両立についてなど、さまざまな心配事や不安についてご相談をお受けします」とあります。そこで、早速相談してみました。
 内容は、自宅療養中に約1週間発熱が続き、外来に電話したが医師がいないため、センターに電話をしました。相談内容は、①治療法について主治医以外の医師の意見を聞きたい、②悪性リンパ腫の患者会の存在、③現在の病状の対応について、の3点です。
 電話に出たのは看護師で、医師はいないという。①については、「病院内で他の医師の意見を聞くことはできない。他の病院に行けばよい」ということでした。②については患者会はなく、センターではその実態はわからないという。また、③の現在の病状について、発熱に対する対応については全く相手にされませんでした。外来に電話しても担当の医師がいない。また、主治医とは連絡ができないシステムになっているため、センターに相談したのですが、話を聞いてもらえず、精神的苦痛だけが残りました。がん患者にとっては全く理解できない内容でした。

「がん相談支援センター」への期待
 厚生労働省では「がん診療連携拠点病院等における相談支援について」センターの業務を12項目挙げています。大学病院にはこの項目を基本とした業務の強化を期待します。
 センターが患者のために機能していると、患者は安心して在宅療養できます。「がん最前線」の情報を持つ大学病院のセンターが中心となって、患者との意思の疎通を十分に行い、患者からアンケートを取り、統計学的に患者の意見を集約し、チーム医療を引っ張っていくよう期待します。そのためにも組織と業務の改革を行ってほしい。例えば、センター長は病院長の下、副院長として教授相当の人材を配置し、医師・看護師・薬剤師などがんに関わる医療関係者を統括し、患者のための相談支援機能を持った組織にする。さらに医師・看護師などの治療を評価・監督できる機能を持つよう期待します。
 また、特定機能病院日本医療機能評価機構の認定を受けた大学病院ではがん患者のQOL向上と死亡率の減少に繋がるよう日常的な自己点検・評価と第三者による点検・評価、並びに病院間の情報の共有を行い、同時にチーム医療に関わるスタッフの卒後研修ならびにリカレント教育などを徹底して取組んでほしい。(近藤雅雄、2025年10月15日掲載)

病気と治療8.総合病院における「チーム医療」推進を期待

 厚生労働省は「チーム医療の推進について(案)」を7つ挙げています。その内の一つ、『チーム医療とは、「医療に従事する多種多様な医療スタッフが、各々の高い専門性を前提に、目的と情報を共有し、業務を分担しつつも互いに連携・補完し合い、患者の状況に的確に対応した医療を提供すること」と一般的に理解されている。』とあります。しかし、私が3度の入院中で経験した現状とは異なっていました。

 この健康・栄養資料室「病気と治療7」で述べたように、私が肺炎で大学病院(特定機能病院医療機能評価機構認定病院)の血液内科に入院した時は主治医や担当医の記載がないまま、6人の病棟医師(内2人が研修医)によって治療が行われました。治療を計画、実行する責任者は誰だか不明です。そして、医師を中心として看護師、薬剤師、理学療法士が治療に関わりましたが、その連携はありませんでした。まず、医師について、末梢神経障害を訴えましたが、残念ながら聞きとめる医師はいませんでした。医師は患者の言葉(ナラティブ)を聞き、治療に当たるのですが、全く基本的なことが行われていないことに驚きです。また、薬の副作用を何度も訴えましたが、担当医師、看護師は対応せず、当直の医師(内分泌内科)が対応しました。
 薬剤師については、持病薬を病室に持って来ましたが、副作用との関係を聞いても説明できず、また薬の複合的副作用について説明できる薬剤師はいませんでした。薬を持ってきただけで薬剤管理指導料を取る。また、理学療法士が勝手に病室に3回来ましたが、雑談しただけで、リハビリ指導料を取る。さらに看護師については本資料室「病気と治療5,7」に示したようにチーム医療とは言えない作業でした。これでは、患者の心身をさらに傷つけ、そして高額の医療費による生活の困窮など、明らかな医療過誤です。残念ながら、これが大学病院に限らず、多くの病院の現実と思われます。

チーム医療への期待
 病院には患者の立場にたったこころの医療(他者理解、仁愛)を期待します。チーム医療は、安心・安全な高度医療を提供するため、主治医を中心とし、医師、看護師、薬剤師、理学療法士、管理栄養士など、さまざまな専門職がそれぞれの専門性を活かし、情報や目的、治療法を共有しながら連携を密にし、患者一人ひとりに最適な医療を提供することです。
 「チーム医療」によって、患者の心理的・社会的な側面を含めた多面的な支援が可能となり、患者のQOL向上と自然治癒力の向上が期待できます。そのためのリカレント教育(または研修)が必要ですが、患者が安心して、より良い療養生活が送れるようチェック体制の強化、医療環境の充実、ガバナンス強化、情報の共有・連携など、チーム医療の推進、総合的な医療体制の構築・強化を期待します。(近藤雅雄、2025年10月15日掲載)

健康情報14.レーズンの腸内環境改善など9つの健康効果

 レーズン中の食物繊維は腸内環境の改善に伴う整腸作用、大腸がんの予防、鉄分は貧血予防、カリウムはむくみ予防・血圧調整、ホウ素はエストロゲン、ビタミンDの活性化による骨粗鬆症の予防、ポリフェノールはアンチエイジング、生活習慣病予防など、多様な健康効果が期待されています。その効果を纏めると、①整腸作用、②貧血予防、③むくみ・高血圧予防、④抗酸化作用、⑤エネルギー補給、⑥美肌効果、⑦骨の健康保持、⑧眼の健康と疲労回復、⑨GI値が低く、食後血糖上昇の抑制(糖尿病の予防)の9つが挙げられます(詳細はPDFを参照)。
 レーズン摂取の目安は1日50~60粒程度(30gのレーズン、約97kcal)です。一般的に、高齢になると共に便通が悪くなるようです。私も同じでしたが、毎食後、野菜と15粒前後のレーズンを摂取してから、便通は改善しました。

 レーズン中の主な栄養成分を「食品成分表」及び「食品の微量元素含量表」にて調べました。
 可食部100g当たり、エネルギー301kcal、たんぱく質2.7g、脂質0.2g、炭水化物80.7g、食物繊維4.1g、ポリフェノール0.4g、ビタミンB群、A,E、ナトリウム12mg、カリウム740mg、カルシウム65mg、マグネシウム31mg、鉄2.3mg、ホウ素0.76mgでした(詳細は下記PDF)。
 食品成分の特徴として、水溶性・不溶性の食物繊維がバランスよく含まれています。不溶性は腸に刺激を与えて便通を促し、腸内の有害物質の排泄を促進する効果があります。水溶性は善玉菌のエサとなって腸内環境を整える作用や、最近の研究結果ではレーズンの酒石酸と食物繊維の組合せが、大腸機能と腸内環境改善・健康保持に大きな役割を果たし、結腸がんの予防も示唆されています。
 ミネラルについては、カリウムがナトリウムの約62倍と多いため、体内の余分なナトリウムを排出し、ミネラルバランスを整え、むくみや高血圧の予防・改善の効果が伺えます。また、ホウ素(すべての哺乳類に必須な元素であると考えられています)が多く、エストロゲンやビタミンDを活性化することから、骨粗鬆症を抑制し骨を丈夫に保つ働きが示唆されます。
 ポリフェノールとしては、エピカテキンアントシアニンが含まれていますので、加齢や生活習慣病の原因となる活性酸素の除去、疲れ目の改善に役立つと思われます。下記PDFを参照して下さい。(近藤雅雄、2025年10月14日掲載)
PDF:レーズンの主な健康効果

教育回想13.国際鍼灸専門学校を創設し,三療を普及した偉人

海を渡った偉人、鬼木市次郎先生の学園創設と国際貢献

 鬼木先生は“あはき”の国際的発展をめざし、世界を渡った偉人として有名です。
 盲人文化史年表(1992年)には『鬼木市次郎氏(1912~2007年)の両親はペルー移民。十代で視力が低下し、1928年福岡県立柳川盲学校入学。卒業後、1934年満州に渡って治療院を開業、1946年に帰国。1954年東京で開業。1957年には日本マッサージ学校の創設。1973年、父母の墓参のためペルーへ、これを機に、南米に三療を普及させ、盲人に三療の技術を身に付けさせようと活動を開始。1990年、ブラジルのサンパウロに伯国盲人国際交流教育協会を組織し、1994年鬼木東洋医学専門学校を開校しました。同校には診療所も併設されている。』と記載されています。
 また、ニッケイ新聞2007年4月6日付では、『鬼木さんは1990年、サンパウロ市に伯国鬼木東洋医学専門学校を創立し、ブラジルの視覚障害者の職業自立に力を注ぎました。同校は93年に聖州(サンパウロ)教育局の認可を取得。当初は視覚障害者の自立支援を大きな目的としていましたが、現在は健常者も学んでいるそうです。さらに、米国カリフォルニア大学の東洋医学名誉博士、中国鍼灸もぐさ協会の評議員を務めるなど、国際的に広くご活躍されました』とあります。
 また、「知られざる日本人 南北アメリカ大陸編 ―世界を舞台に活躍した日本人列伝,2007」(太田宏人著)では野口英世と共に紹介されています(下記PDF参照)。
 筑波大学人間総合科学研究科の中田英雄教授は1997年にサンパウロで開催された第10回国際視覚障害者教育会議で鬼木氏と会い、ブラジルでの活躍に対して「鬼木夫妻を駆り立てたものは何なのか、未だに自問している」と述べています。

 このように、先生は国内外にて盲人教育に貢献しました。そして、国内では上野に「日本マッサージ学校」を創立、1967年には、はり師、きゅう師を加え、三療体制となりました。1970年、現在の葛飾区立石に移転、国際鍼灸理療学校と改称、1979年には国際鍼灸専門学校と改称し、医療専門課程の専修学校となりました。1987年4月には同区青戸駅前に青戸校舎を建設し、国内外で“あはき”医療の普及に貢献されました。

 筆者は1990年、同校の栄養学非常勤講師時代に先生とお会いしましたが、前向きで、アグレッシブながら謙虚で大変立派な医療人でした。そして、先生の後を継いだ理事長、故鬼木和子先生、故鬼木誠一郎先生、そして現在の鬼木縁先生、皆、大変謙虚で立派な人格者です。そして、3つの国家資格(あはき師)取得に向けた素晴しい教育が行われています。皆様との沢山の良きご縁・思い出に感謝します。あはき師、三療を目指す人は多くの超優れた卒業生を輩出した伝統ある学園で、最高の講師陣、教育の質・環境の下、学ぶことができます。また、素晴らしい同窓会があります。(元校長、2025年10月8日掲載)
PDF:知られざる日本人

2025年10月、新型コロナウイルス感染症が急増している

問わず語り:口腔内を清潔に保って、ウイルスや口腔内細菌による感染を防御‼

1.歯磨きの効果

 口腔内には300~700種類の細菌(口腔内フローラ)が存在すると言われます。細菌数は歯をよく磨く人で1000~2000億個、あまり磨かない人では4000~6000億個、殆ど磨かない人では約1兆個存在すると言われています。菌としてはミュータンス菌、ラクトバチルス菌、ソブリヌス菌、ポルフィロモナス・ジンジバリス菌、トレポネーマ・デンティコラ菌、タネレラ・フォーサイシア菌など含まれます。これらの菌には虫歯、歯周病、感染性心内膜症、誤嚥性肺炎など様々な疾患との関係が注目されています。私も1月に肺炎になりましたが、原因として誤嚥性肺炎が考えられました。とくに高齢者は誤嚥に十分注意が必要です。口腔内細菌を減らす方法は歯磨き、フロスや歯間ブラシによる歯間清掃です。

2.うがいの効果
 新型コロナウイルス感染が流行っています。5類感染症に移行してから情報が殆どありませんが確実に増えてます。ここでは2つの事例を紹介します。
 第1例は、息子がコロナに感染し、症状は倦怠感、発熱(最大39.6℃)、喉の痛み、鼻水、咳が出て病院でコロナと判定されました。翌日、家族全員が同じような症状が出て病院で検査をし、コロナ陽性と診断されました。熱が上がったり下がったりで、3日間安静にし、4日目で熱が下がり元気になりました。5日目からは出勤しています。第2例は、3日前に喉の痛みと微熱位で健康であった人が友人3人とマスク無しで2時間ばかりお喋りした後、病院でコロナと判明、また友人3人もコロナと診断されたとのこと。この2つの事例が1週間でありました。感染者はかなり多いと思います。
 今回流行しているのはオミクロンの亜系統の一つでNB.1.8.1(ニンバス)です。症状の特徴は、のどの痛み:74%、発熱:72%、咳・痰:66%、鼻水:40%、頭痛:34%、体の痛み:25%、息苦しさ:16%、倦怠感・だるさ:14%と報告されています。味覚障害などはありません。但し、65歳以上の高齢者、基礎疾患(糖尿病,心疾患,慢性腎臓病,慢性呼吸器疾患)のある方、がんなど免疫機能の低下している方は重症化するリスクが高いため、特に注意が必要です。
 現在、インフルエンザとコロナが流行していますが、感染防御として「ぶくぶくうがい」と「がらがらうがい」の二つのうがいを習慣にすると感染が防御されます。外出後や人との会話の後など平時では水道水で十分です。紅茶によるうがいも良いです。緑茶は科学的根拠が不明です。喉に痛みやイガイガする時は“イソジンうがい薬”などが良いです。
 近年、飲食店、スーパーなどではアルコール消毒液を置いている店は殆どありません。また、従業員はマスクをしていません。マスク、手洗い、うがいを徹底し、部屋の喚起とアルコール消毒など、感染予防対策をしっかり行い、うつらない、うつさないを徹底した自己管理が大切です。(近藤雅雄、2025年10月7日掲載)

著書26.絆:明治,大正,昭和,平成,令和,そして未来へ

「夢を紡ぐ,夢を繋ぐ」、夢の翼
 子どもの頃は、いつも夢で溢れ、ちょっとした不思議なもの・些細なことでも目を見張る感性があり(Sense of wonder)、明日を夢見ていた。

 少年期から青春時代にかけては一気に世界が広がり、将来への望みが多くなり、多様な夢を見る夢多き時代でした。しかし、夢の多くが夢で終わり、消えていった。
 老人になると、未来への夢を見なくなり塞ぎがちになるが、夢に生きる老人は新鮮に光輝いている。明日を夢見るこころを忘れてはならない。

 そして、いきもの大好き家族の夢を紡ぎ、夢を繋ぐことが大切であることを知る。
 夢は、こころとからだの健康と繋がっている。健康な人はこころもからだも生き生きとし、次々と夢を描いてはそれを叶えていく。夢は人生だ。

 幸福と平和の夢の実現にはただ憧れているだけではなく、強い意志とその翼が必要だ。
 夢の翼は、個性であり、知の創造であり、知の結集である。そして、ロマンであり、情熱であり、未来へ飛翔する不滅の力であり、真の勇気であり、愛であり、感謝である。世界の人々が手をつなぎ、平和な多様性のある地球社会がやってくることを夢見る。

 夢は人生であり、計画だ。皆が光り輝く夢を見て、教育(今日行くところがある)と教養(今日用事がある)を高め、皆がそれぞれの人生を楽しく前向きに歩んでいく。
 そんな「夢を紡ぐ、夢を繋ぐ」“”を大切にしたい。

  “絆”「わが家系の回想」(明治,大正,昭和,平成,令和,そして未来へ)
 本書(絆:近藤雅雄編,5人兄弟執筆,A4,92ページ,2021年4月1日出版)は、筆者が生まれ育った「近藤家」の未来への資料として纏めました。執筆した理由は、私たちは一人で生まれ、育ったのではなく、多くの人との関わり、絆があって誕生し、育つということを知って欲しい。そして、自分のルーツを知り、未来に向かって歩む力を身に付けるために。
 内容は明治生まれの父と母の生涯、その後を時代ごとに回想しました。父母は名古屋で生まれ、育ち、成長、やがて結婚し、東京で5人の子どもが誕生するまでの誕生期(1904~1949年)、5人の子どもが結婚し、子どもを授かるまでの黎明期(1950~1981年)、父母との永遠の別れと同時に5人の兄弟が成長し、新たな時代への転換となる創生期(1982~1997年)、5人兄弟の子どもが成長、孫が誕生し、次代への引継ぎと「千代の会」結成並びにその発展期(1998~2020年)、そして5人の兄弟すべてが高齢者となると同時に孫が成長、未来への扉が開き、持続可能な時代へと発展・移行を期する持続期(2021年~)として分けて整理しました。
 本書が10年後、20年後、50年後も引き継がれ、近藤家のすべての人が高い志、夢をもって新たな時代を担うべく、大きく成長し、社会へ貢献していって欲しいとの思いから纏めました。そして、両親の血を受継ぐすべての人が「いのちの尊さと感謝の気持ちを持って、人間として正しい判断力を身に付け、健康で質の高い生活を維持し、健康寿命の延伸を図って欲しいと願っています。また、後継者にはどのような遺伝子を受継いでいるかを知る貴重な資料ともなるでしょう。
 そして、地球上のすべての人が光輝く遺伝子をもって生まれてくるのです。その遺伝子が争いごとではなく、正しく教育・醸成され、人類が差別・格差なく、平和で、持続した国際社会の発展と持続した地球環境の保全に貢献することを願っています。(近藤雅雄、2025年9月23日掲載)

教育回想11.あマ指師養成校:素晴らしき長生学園の理念

 昭和51(1976)年、大学卒業して2年後、上司から“あん摩マッサージ指圧師養成校(あマ指師師)”「長生学園」にて生理学の非常勤講師の代講を頼まれました。講義は、休日にあたる土曜日です。その年の賞与をすべて医学生理学関係の専門書購入に注ぎ込み、独学にて勉強し、講義用の教科書を作成してから講義を行い、令和5(2023)年の2月まで47年間続きました。人に教えることは、大変勉強になると共に、人体生理学をマスターすることは医学の基本をマスターすることです。この経験によって、生涯、学ぶことに最大の価値を置くこととしました。
 27歳時迄に、骨髄赤芽球細胞からヘモグロビン合成に関わる新しいインヒビターの発見遺伝性ポルフィリン症の酵素異常の発見鉛中毒の中毒機序の解明など数年間で3つを世界に先駆けて発見し、国際的に注目されるようになり、忙しくなりました。海外や国内の大学、研究機関からの講演、講義などの依頼が急激に増えたましが、時間はいくらでも作ろうと思えばできることを学びました。
 教室では、約60名の年齢10代から70代迄の学生が同じ目標を持って学んでいる。学生は伝統療法である長生療術に興味をもって北海道から沖縄まで、日本中から集まって来ます。まさに、人生の縮図で、とても居心地の良い場所でした。
 学園で学ぶ長生医学は霊肉救済の精神を基盤として、その教義は仏教の精神を基盤とした霊肉一体の救済の根本教義の基に「脊椎矯正」、「精神療法」、「プラーナ療法」の三位一体によって病気の原因を取り去り、自然治癒力を発揮させ、病気に苦しむ肉体と精神を救うことを、究極の目的としています。これが学園の理念です。

 学園は校訓として「感謝」に重きを置いています。したがって、いつ行っても、事務、教員、学生が一体となって明るく、元気です。そして、理事長の思いであった「学生には常に最先端の医療・医学が理解できるように教育したい」との堅い信念から、私も自らの研究を通して最先端の医学(基礎医学、臨床医学)や医療関連資格などを各種医学会や講演会で勉強すると共に、学園を通して、人間として、人のふれ合いの大切さ、命の尊さ、感謝の心を学んでは教育に反映させました。まさに素晴らしき学園です。(2023年3月8日執筆、2025年9月15日更新)
PDF:素晴しき長生学園

こころとからだの健康(20) 言葉はこころなり~伝えたい言葉

 国際社会は未だに悲惨な戦争と地球環境の破壊を繰り返しています。その原因の一つとして人間教育の貧困が挙げられます。
 我が国は、「新しい時代を拓く心を育てるために」次世代を育てる心を失う危機、として1998年、中央教育審議会が中間報告、第1章 未来に向けてもう一度我々の足元を見直そう、第2章 もう一度家庭を見直そう、第3章 地域社会の力を生かそう、第4章 心を育てる場として学校を見直そうの4項目からなる答申を出しました。
 戦後80年、日本は自由で民主的な国家として、人々が豊かで安心して暮らせる社会を形成し、世界の平和に貢献しようと努力してきました。そして、教育の重要性を掲げ、幼児期、学童期に人間形成の基盤をなすこころの教育として、「さまざまな体験や体感を通して、感謝のこころを持って、生きる力、いのちを大切にするこころ、他者を思いやるこころといった、人としての基礎を育む」ことを人間教育の基本として学んでいる。因みに、日本は世界の平和指数(治安・安全性)ランキングでは世界163か国中17位(2024年)でした。
 ここでは、私の40年以上にわたる医学・生命科学に関わる教育・研究活動で経験したこころの教育において、学んだことを「次代に伝えたい言葉」として①言葉は人間の原点である、②言葉はこころとからだを健康にする最大の栄養素、③次代に伝えたい言葉、④私の好きな言葉、⑤災害時の言葉と防災、として添付のPDFに綴りました。この中に、1つでもこころに響くものがあれば嬉しいです。(近藤雅雄、2025年7月27日掲載)

こころは言葉によってコロコロ変わるから“こころ”と言う
言葉は人間の原点であり, 人を動かし、国を動かす
言葉はこころとからだを健康にする最大の栄養素である


言葉は人間社会の原点である
 言葉を話すのは人間だけである。言葉は人類の発展に大きく貢献し、書物となり永遠と続く。そして、言葉は人を動かし、国を動かす。言葉には力がある。したがって、地球の平和や環境は言葉によって大いに影響を受ける。言葉はこころと連動している。
 すなわち、こころは言葉の影響を最も受けやすく、威圧的な言葉、汚い言葉、人の悪口、否定的な言葉を使うのを止め、笑顔で、プラスの言葉を口にしていけば、自分も相手もこころがとても良い状態に安定していき、自分のおかれた状況がたとえどんな状態であっても、次第に好転していくと信じることができる。言葉には魂がある(言霊)
 一つしかないいのちであれば、人生を感謝と喜びに満ち、明るく、おおらかに「前へ」プラス思考で生きる。同様に、一つしかない地球であれば、地球に住む国々が仲良く、感謝と喜びに満ち、地球環境をより良くして行く。このような社会を望んでいます。(2025年7月27日掲載)
PDF:伝えたい言葉

研究回想3.研究の道しるべ、持続した発見と社会貢献

 教育・研究者として、その業績数は学術論文、著書、国際会議講演、国内学術会議講演、招待講演、特別講演、教育講演、依頼論文、学術報告者、特許、競争的研究費の獲得、学位(学士、修士、博士)研究・論文指導、民間企業研究指導、国家及び地方公務員・留学生への教育・研究指導、新聞・雑誌・報道・テレビ・映画等マスメディアへの出演・執筆依頼、教材など、公開された印刷物などは全部で1,500件を超える。
 学術論文の内、査読付きが238件、その内訳は、英文90件、邦文148件、国際会議論文63件、論文の国際的価値として総インパクトファクター 250以上、引用件数は国内外にておそらく5,000論文前後に至る。査読付きの学術論文は投稿雑誌の編集委員会にて、必ず2名以上の専門家による審査が入り、オリジナリティがあるかどうか、原著論文として適切かどうかなど、厳しく審査される。その結果、reject(却下)か、accept(許可)か、または修正すれば許可する(acceptable、条件付許可)の3つのどれかの判定が著者に送られてくる。したがって、公開された査読付き論文はすべてオリジナリティがある。主な研究成果をPDFに示しました。

 学生時代に立てた目標は30歳までに自分の道を見つけることでした。そこで、猛烈に仕事をして、30歳時までに「骨髄δ-アミノレブリン酸(ALA)脱水酵素インヒビターの発見」、「鉛中毒時の酵素異常の発見とその機序の解明」、そして「晩発性皮膚ポルフィリン症の酵素異常の発見」といった世界で初めてを3つ経験しました。いずれも日々の実験の積み重ねから見出した、まったくの偶然の発見でしたが、これが研究者としての自信につながり、何の抵抗もなく、自然と研究者の道を歩むこととなりました。

 新しき事を見出すということはonly oneになること、number oneではなくonly one にこだわりました。その一つとして、私が経験したのは最も基本的な測定(分析)技術の開発でした。他の研究者が開発した測定法を基本に戻って再検討するとうまくいかない事があることを見出しました。それは、鉛中毒の生体影響の指標として用いられてきたALA脱水酵素活性の測定法は1955年に開発されて以来、現代まで何の疑問・疑いを持たず世界中の研究者によって利用されてきました。その方法を基本に戻って測定し直すと新たな問題が沢山出てきた。そこで、測定法を新たに開発し、実験するとこれまでの定説と異なった新たな発見が次々と成された。この内容については、昔「生化学若い研究者の会」で特別講演を行い、若手研究者の興味を誘いました。

 私は、事を成すにはまず基本に戻って十分に準備をすることが大切で、これが新たな発見に繋がることが多いことを経験しました。気が付けば1,500件以上の業績を出したことは感慨深いことです。21歳時からエネルギーを教育・研究と論文執筆に最大限投入し、1日12時間以上様々な学びの好奇心を持って基礎から応用研究を行なってきました。76歳となった今でも、この「健康・栄養資料室」に論文を書き続けています。学ぶことに最大の価値を置き、新たなonly oneのモノ創りを生涯の仕事として位置付けた自分の人生であり、社会への貢献です。

 また、社会貢献の立ち場からは、これまでに学術研究会と学会の創設と運営、学術雑誌の創設と運営、大学新学部の立ち上げ・運営・教育、医療系専門学校の改革・運営・教育、難病の患者会の創設と運営、日本で初めての指定難病制度の立ち上げに関わることができたことは望外の喜びです。(近藤雅雄、2025年7月18日掲載)
PDF:研究の道しるべ、公開された主な研究成果

研究回想1.私の人生を懸けたポルフィリン症研究への思い

概 要
 人生にて、興味を持ち続けた研究テーマは、①生物の根源物質ポルフィリン・ヘムの生合成調節機序に関する研究、②ライフステージにおける栄養素の研究、③環境因子の生体影響およびその指標作成に関する研究、④再生医学に関する研究、そして⑤自然・地球環境に関する研究の5テーマでした。すなわち、人間が生きて行く上で不可欠な「保健」,「医療」,「環境」に関する研究を常に注目してきました。
 このうち、①のポルフィリン代謝(ヘム生合成)の調節機序に関する研究を始めたのは学生時代の21歳、1970年です。当時、ポルフィリンの医学およびポルフィリン症研究は散発的な症例報告はあるものの、臨床統計や疫学データがなく、診断のための検査法、診断基準、発症機序、治療法も未確立でした。しかも希少疾患ということで、医療従事者の間でもほとんど知られていない病気でした。
 1980年代、ポルフィリン症の発症および再発の防止、患者のQOL向上と健康寿命の延伸を期して、患者の会「全国ポルフィリン代謝異常症患者の会(さくら友の会)」や学術研究組織「ポルフィリン研究会」を創設しました。研究会では、ポルフィリンに関する研究成果を学術研究論文誌「ポルフィリン,Porphyrins」(国会図書館寄贈)を季刊定期発行雑誌として刊行しました。
 そして、本格的に診断法の開発、発症機序解明などの一連の研究活動を行い、1990年代から2000年までには各病型の発症機序、鑑別確定診断法、診断基準、臨床統計などの研究をほぼ完成させました。
 そして、2013年には患者会協力のもと、急性ポルフィリン症治療薬の未承認薬「ヘミン製剤」の認可を得、保険適用となり、急性ポルフィリン症の治療の道が広がりました。さらに、2015年、指定難病制度が法律として新たに立ち上がると同時に、ポルフィリン症が指定難病として承認されました。厚生労働省元職員として嬉しく思うと同時にポルフィリン症に対する思いを叶えました。
 ここでは、「ポルフィリン症研究への思い」として以下のPDFにまとめました。(近藤雅雄、2025年5月20日掲載)
PDF:ポルフィリン症研究への思い

著書24.言葉はなかったが癒された。私は忘れない「リヴの物語」

 ロングコートチワワ犬(雄、「国際公認血統証明書」)生後2か月が家族となり、息子がリヴと命名しました。しかし、12歳10カ月、近くの動物病院にてその小さないのちが消えました。
 悲しみ癒えぬ間にリヴの物語を執筆しました。この物語は、日常生活の中でのさまざまな場面での触れ合いによって、私たち家族にたくさんのこころの安らぎと楽しさ、癒し、励まし、笑い、幸せをプレゼントしてくれたことに感謝し、短い生涯を写真と文章で追憶した47ページにわたる犬の物語です。

 リヴは散歩や車に乗るのが怖く、1日中家の中にいました。外に出しても、車に乗せても体を震わせて怖がり、すぐに家に帰る。家の中では走り回り、いつもそばにいて、楽しませてくれました。 リヴとの思い出から、改めていのちの大切さと生きることの大切さ、そして感謝するこころを学びました。物語を作成中に、リヴの写真と病歴から、これまでに実に多くのからだとこころのサインを家族に送っていたことに気づきました。そして、さまざまなサインに気付かなかったことを悔やみました。  また、犬の死因を究明することは、私たち人間においてもいのちとは、救急医療とは、について考える機会となった。それは、本来まだ生きたであろういのちを救うことができなかったことに対する自分への憤りでした。しかし、そこから「いのちを大切にするこころ、生きるこころ、他者を思いやるこころ」といった、人間としての「こころ」の基本を学びました。そして、「健康と病気」について考える良い機会が与えられました。生き物は病気になる時には必ず、何らかのサインを心身から出していることを見逃さないようにし、早め早めに対応することが大切です。とくに言葉がない動物への日頃の感謝を忘れないことです。

 リヴの死から学んだことは多い。今後残された人生にプラスになるよう、前向きに歩み続けよう。この地球に棲むすべての生き物は、いずれは死を迎える。それが早いか遅いかではなく、いかに生きたかどうかが大切です。たとえ、短いいのちであっても、一生懸命生きれば、悲しいがそれでよいと思う。家族として、共に歩んだのです。
 私はこの物語を作成してから、日々を懐かしく、回想しています。(近藤雅雄、2025年5月1日掲載)

教育回想10.東京都市大学人間科学部、平成26年度入学式挨拶

 今日は孫が通う中学校の入学式です。
 漸く暖かくなり、桜満開で、まさに入学式には良い天候が続きます。そこで、これまでの入学式の挨拶の中で、忘れられない祝辞は多くありますが、その中から筆者の大学勤務の最期となった平成26年度の東京都市大学の入学式で人間科学部の父母への挨拶(以下のPDF参照)をあげました。
 学部長として満期の6年間、学部の運営・教育・研究業務を行い、中でも学部の改革として新学科及び大学院修士課程の設置構想案、さらに大学の組織・構造改革の提案など、いろいろな改革に向けた活動を行ない、大学及び法人組織への働きがけしたのを覚えています。
 それ以外に、社会的貢献として、難病患者の市民権を得る行動、難病制度の法改正を目指して国会議員及び厚生労働省の要職への陳情や面接、そして議員連盟を作って難病の現状を広く紹介すると同時に全国署名活動を行い60万人以上の署名を集め、厚生労働大臣に大臣室にて手渡したこと。その結果、新たな指定難病制度の法制化を実現することできたことは、大きな成果として、心の中に深く刻まれております。大変忙しい定年前の最後の年でしたが、大学を軸としたこれらの活動が大変充実していたことは幸せでした。(写真は都市大学近藤研究室にて。近藤雅雄、2025年4月8日掲載)
PDF:父母挨拶

「病気と治療1~7」のまとめ:病院と医師の治療の質向上を願う

 「病気と治療」の連載では望ましくない治療体験を7回に亘って掲載しました。これに対して望ましい治療経験はありませんでした。
 第1回目の原稿「病気と治療1.脊髄強打による圧迫骨折等脊髄損傷の治療経験」で、筆者は「多くの病院、医師は社会・人間に役立つ医療を提供していますが、一部の病院あるいは一部の医師に不適切な態度・技術‣知識・運営が見られることがあります。患者は命を預ける弱者であり、病院、医師に従うしかありません。病院、医師の社会に対する責任は重いのです。」と記載しました。

 これまでに500名以上の全国病院医師と、共同研究者として論文や医学会での発表を行ないましたが、この中には臨床研究にまったく関わらなかった名前だけの医師、患者の組織,血液や尿などの検体を採取しただけの医師など、研究への関わり方はさまざまでした。しかし、一緒に議論して研究した医師や共著論文を執筆した医師は「研究の質の向上は治療・教育の質の向上を担保する」ごとく、真に優秀な医師でした。
 医師には研究するこころを持っている医師とそうでない医師がいます。研究するこころを持った医師は向上心があり、その治療は優秀なのが多い。研究するこころを持っていない医師には患者に寄り添う医師と寄り添わない医師がいます。患者に寄り添う医師には仁愛のこころがある人が多い。問題は研究するこころを持たず、患者に寄り添わない医師が意外に多いことです。
 医学部に入学した医師の偏差値は高いが、「研究能力や仁愛のこころ」といった面では偏差値は無関係です。近年、研究できない(しない)医師があまりにも多くなりました。医学部の医学教育では、医師としての道徳教育を重視してほしいと願うばかりです。最高学府である大学医学部の附属病院の医師は同時に医学研究者でもあることを肝に銘ずるべきです。また、ガバナンスがいい加減であることが多く見られます。
 こころが病んでいる患者に対する病気の治療には多くの患者の物語があり、そのこころを少しずつ和らいでいくことによって患者の自然治癒力が高まり、病気の治療・回復に向かうことが多いです。まず、患者と多く接することが第一に必要なことあって、病気の治療の基本です。
 この資料室で「病気と治療」を書いた理由は、病院医師の治療に対する意識の向上と自己点検・評価並びに必要な改善・改革を行い、病院および医師に望ましくない行為が起こらないような仕組みを作ってほしいという思いからです。特に特定機能病院日本医療機能評価機構の認定を受けた病院では日常的な自己点検・評価と第三者による点検・評価が必要であると思います。以下に、医療従事者に求められる言葉(こころ)と態度を挙げました。

医療従事者に求められる言葉と態度、12の習慣(近藤)

1.医療は経営に重きを置くのではなく、患者に寄り添った優れた治療を優先する。
2.保健・医療・福祉の基本は布施行であり、高い志と知・技・心・態が求められます。
3.敬愛の精神を持って、常に謙虚で自己を厳しく律する。言葉の使い方を大切にする。
4.医療従事者、とくに医師の言葉は患者の免疫力・治癒力、さらに生死に大きく影響する。
5.成功者は自分のためではなく、患者のためになることを第一に考える(他者理解)。
6.患者に「治る」「治してあげる」という断定的な言葉を言ってはいけない。治るのは患者の治癒力による。
7.患者に寄り添い、患者の身体に聴診器や手を当て、病気の全体を総合的に判断する。
8.患者に嘘を言ってはいけない。知ったかぶりをしない。わからないことはその場で調べる。
9.患者に治療を行う前には必ず説明し、同意を得るのが基本です。また、EBMを順守するのが基本です。
10.症例から学ばぬ者は過ちを繰り返します。
11.研究の質向上は治療・教育の質の向上を担保する。
12.臨床研究の課題は身近に多く存在する。常に「研究するこころ」と「患者に感謝するこころ」を持つことを忘れてはいけない。
(近藤雅雄、2025年4月6日掲載)

病気と治療7.肺炎で大学病院に入院した時の治療経験

 75歳時(2025年1月6日)、強度の息切れを自覚し、自宅でパルスオキシメータを使って酸素飽和度を測定したところ87%(90%以下は呼吸不全)でした。そこで、血液のがんで通院している特定機能病院日本医療機能評価機構認定病院の某有名私立大学医学部附属病院(大学病院)の血液内科に行き、血液検査,胸部レントゲン・CT・心電図検査,採血100ml以上(検査及び使用内容不明)を行いました。しかし、検査報告はないまま「びまん性肺炎」と診断されました。その根拠は不明で、自分の身体に何が起こっているのかもわからないまま入院となりました。入院中に関わった医師の数は6名(内2人が研修医)でしたが、何故か呼吸器の医師はいませんでした。また、主治医、担当医が不明のままで、治療計画などのインフォームド・コンセントもまったくありませんでした。
 入院4日目に第2回目の血液検査とレントゲン撮影をしましたが、その報告もありませんでした。また、入院以来ペニシリン系の抗菌剤を点滴投与していましたが、蕁麻疹,痒み,下痢などの副作用が強く、何度も医師や看護師に伝えましたが、何の対応もありませんでした。翌日の入院5日目にいきなり看護師が来て、ペニシリン系からセファム系の抗菌剤に変わりましたが、やはり副作用が強く、看護師に相談しましたが、何の対応もありませんでした。呼吸器の病気でありながら、入院中に聴診器を当てる医師は皆無でした。
 入院6日目、看護師が突然来て、いきなり酸素ボンベの酸素流量を1.5→1.0に下げました。理由は、「医師の指示で酸素は少ない方が良い」と言っていました。その後、T医師が来て、「肺炎の入院期間は通常1週間です」と言い、CRPは0.811(正常値<0.200)と正常上限の4倍高値で酸素飽和度93%(厚生労働省のガイドラインでは93%は酸素吸入が必要とある)でしたが、翌日退院を強いられました。
 退院当日、医師は来なかったので入院中の診断・治療経過は不明のままでした。帰路、体調は悪く、息苦しく、大学病院と医師への不信感が増すだけでした。

退院時に請求された入院診療費の疑惑

 退院時、入院診療費は218,230円でした。高額医療費が社会問題となっていますが、レセプト(医療費の明細書)から利用していない不明の項目が以下のように多数ありました。
1.利用不明の医薬品
①ピコスルファートNa内服薬(下剤),1回、②カロナール錠,3回、③デエビゴ錠(不眠症治療薬)、3回、④レルベア100エリプタ30吸入用1回。筆者は使用した医薬品類はすべて記録していましたが、その記述・記憶がありません。また、これら薬剤は肺炎治療と無関係です。

2.「医学管理等」の疑惑
 筆者は75歳後期高齢者であり、保険点数1割負担です。以下に不明の請求がありました。 ①退院時薬剤情報管理指導料1回90点,②退院時リハビリテーション指導料1回300点、③薬剤管理指導料2回,325点、③初期加算(リハビリテーション科),1回,245点でした。合計960点であり、金額からすると9600円です。この金額は病院の不正収入と言えます。
 これら「医学管理料等」については、①薬剤師は1回病室に来て薬を置いていっただけである。また、薬の処方にミスがあり、薬剤師として不適切であった。②医師がリハビリを勝手にオーダーしたが、リハビリの実態はありません。

 以上から、今回経験した入院医療はチーム医療(医師、看護師、薬剤師、リハビリ)とはとても言えず、入院費用についても問題だらけでした。(近藤雅雄、2025年4月5日掲載)

「前へ」の詩:生きるために人生の目的をしっかり持つ

 1949年、団塊世代の最後に生まれ、戦後の急速な経済発展を経験し、小・中・高、大学時代、そして社会人として、仕事と仲間と環境に恵まれ生きてきました。平和な時代でした。
 時代が変わったのは2020年の「パンデミック」、そして、2022年の「ロシアによるウクライナ侵攻」、たった数年間で平和であった時代が大きく変わろうとしていました。
 古希を過ぎ75歳、終の人生を迎えるにあたって、過去の多くの出来事を記録し、後世に遺すことは、次代に生きる人に役立つかもしれない。また、生きるヒントになるかもしれない。しかし、「パンデミックと戦争」そして「ITやAIの急速な進展」による世界への影響、そして日本では「南海トラフ首都直下地震富士山の噴火など」の災害予測と「台湾有事」「関税問題」などと時代は逆行し、次代がどのようになるか想像がつかない方向へと突入している。

 人は誰にでも死は訪れる。死を考えた時、大切な言葉を一つ挙げるならば、それは「前へ」でした。死に行く者も、生きていればさまざまな喜怒哀楽、ストレスが日々変化して訪れます。それをうまくコントロールし、「前へ」突進む努力、社会貢献に愛する努力をする。そのためにも人生の目的を持って努力する。そうすれば、新しい景色を見ることができるであろう。そして、その景色が人類・人間社会にとって本当に幸せなものなのかもしれない。

 人間は、前向きで、素直に社会に貢献する謙虚な姿勢を持ち続けることが大切でdす。それを行動に移し、新たな道を拓き、家族と共に生きて行く。そして、「1日でも長く健康で、おおらかに前へ生きる」、が最も基本的で豊かな人生といえます。そこに「感謝する人がいて、そして、感謝される」そういう人生は真に幸せです。
 添付したPDFに「人類と地球の世界平和に向かって「前へ」踏み出そう」という詩を掲載しましたので参照して下さい。(近藤雅雄、2025年4月4日掲載)
PDF:前へ生きる{詩」