研究回想:私の人生を懸けたポルフィリン症研究への思い

概 要
 人生にて、興味を持ち続けた研究テーマは、①生物の根源物質ポルフィリン・ヘム生合成の調節機序に関する研究、②ライフステージにおける栄養素の研究、③環境因子の生体影響およびその指標作成に関する研究、④再生医学に関する研究、そして⑤自然・地球環境に関する研究の5テーマでした。すなわち、人間が生きて行く上で不可欠な「保健」,「医療」,「環境」に関する研究を常に注目してきました。
 このうち、①のポルフィリン代謝(ヘム生合成)の調節機序に関する研究を始めたのは学生時代の21歳、1970年です。当時、ポルフィリン症は散発的な症例報告はあるものの、臨床統計や疫学データがなく、診断のための検査法、診断基準、発症機序、治療法も未確立でした。しかも希少疾患ということで、医療従事者の間でもほとんど知られていない病気でした。
 1980年代、ポルフィリン症の発症および再発の防止、患者のQOL向上と健康寿命の延伸を期して、患者の会「全国ポルフィリン代謝異常症患者の会(さくら友の会)」や学術研究組織「ポルフィリン研究会」を創設しました。研究会では、ポルフィリンに関する研究成果を学術研究論文誌「ポルフィリン,Porphyrins」(国会図書館寄贈)を季刊定期発行雑誌として刊行しました。
 そして、本格的に診断法の開発、発症機序解明などの一連の研究活動を行い、1990年代から2000年までには各病型の発症機序、鑑別確定診断法、診断基準、臨床統計などの研究をほぼ完成させました。
 そして、2013年には患者会協力のもと、急性ポルフィリン症治療薬の未承認薬「ヘミン製剤」の認可を得、保険適用となり、急性ポルフィリン症の治療の道が広がりました。さらに、2015年、指定難病制度が法律として新たに立ち上がると同時に、ポルフィリン症が指定難病として承認されました。厚生労働省元職員として嬉しく思うと同時にポルフィリン症に対する思いを叶えました。
 ここでは、「ポルフィリン症研究への思い」として以下のPDFにまとめました。(近藤雅雄、2025年5月20日掲載)

PDF:ポ症研究への思い:概要

言葉はなかったが癒された。私は忘れない「リヴの物語」

 ロングコートチワワ犬(雄、「国際公認血統証明書」)生後2か月が家族となり、息子がリヴと命名した。しかし、12歳10カ月、近くの動物病院にてその小さないのちが消えた。
 悲しみ癒えぬ間にリヴの物語を執筆した。この物語は、日常生活の中でのさまざまな場面での触れ合いによって、私たち家族にたくさんのこころの安らぎと楽しさ、癒し、励まし、笑い、幸せをプレゼントしてくれたことに感謝し、短い生涯を写真と文章で追憶した47ページにわたる犬の物語。

 リヴは散歩や車に乗るのが怖く、1日中家の中にいた。外に出しても、車に乗せても体を震わせて怖がり、すぐに帰る。家の中では走り回り、いつもそばにいて、楽しませてくれた。 リヴとの思い出から、改めていのちの大切さと生きることの大切さ、そして感謝するこころを学ぶ。物語を作成中に、リヴの写真と病歴から、これまでに実に多くのからだとこころのサインを家族に送っていたことに気づく。そして、さまざまなサインに気付かなかったことを悔やむ。  また、犬の死因を究明することは、私たち人間においてもいのちとは、救急医療とは、について考える機会となった。それは、本来まだ生きたであろういのちを救うことができなかったことに対する自分への憤りであった。しかし、そこから「いのちを大切にするこころ、生きるこころ、他者を思いやるこころ」といった、人間としての「こころ」の基本を学ぶ。そして、「健康と病気」について考える良い機会が与えられる。生き物は病気になる時には必ず、何らかのサインを心身から出していることを見逃さないようにし、早め早めに対応することが大切だ。とくに言葉がない動物への日頃の感謝を忘れないことである。

 リヴの死から学んだことは多い。今後残された人生にプラスになるよう、前向きに歩み続けよう。この地球に棲むすべての生き物は、いずれは死を迎える。それが早いか遅いかではなく、いかに生きたかどうかが大切だ。たとえ、短いいのちであっても、一生懸命生きれば、それでよい。家族として、共に歩んだのだ。
 私はこの物語を作成してから、日々を懐かしく、回想している。(近藤雅雄、2025年5月1日掲載)

患者発見に対する診断法開発への熱い思いと教育・研究

 研究を始めた1970年代、ポルフィリン測定の検査会社はありませんでした。ポルフィリン症の診断は大変遅れ、診断に何年もかかり、または誤診される確率が非常に高く、発症してからの致死率も急性ポルフィリン症の場合には80%を超えていました。
 これまで誰も成し遂げなかった、ポルフィリン代謝関連産物(8つの酵素活性とポルフィリン代謝関連物質合計25種類の測定法の開発を行い、1970年代後半、世界に先駆けて血液および尿10µℓ、肝組織10mgや骨髄・皮膚・神経・腎細胞、培養細胞と言った微量生検試料を用いて、生体内に存在する全ポルフィリン類(約20種類あります)をほんの数10分で測定できる自動微量迅速精密分析定量法を、高速液体クロマトグラフィーを用いて開発しました。測定法(検査法、診断法)が完成すると次は診断基準となります。多症例の患者さんが必要となるので、国内からポルフィリン症患者さん並びにその疑いのある人から測定しました。同時に、対照値として、血液、尿、糞便においては健常者を対象とした各種健診時に採血、検便、採尿した試料を集め、年齢・性別に分けてポルフィリン代謝産物や血液中の酵素活性の健常値を決定しました。
 1978年~2007年2月の約30年間、「ポルフィリン症の疑い」として、あるいは診断が付かない疾病などの病態解析のためにポルフィリン代謝関連物質の検査依頼があった総検体(試料)数は6,000以上になりました。この内、遺伝性ポルフィリン症として確定鑑別診断したのは、215例でした。
 2007年以降、ポルフィリン症の生化学的検査をする研究者はいなくなり、確定診断に必須なポルフィリン代謝関連物質の測定を行う研究・検査機関も殆ど無くなりました。検査は米国に検体を送っているのが現実です。現在、研究者や検査機関は増えることなく、患者の報告数も減少しています。さらに、ポルフィリン症関係の学術図書、論文・記事が急激に少なくなりました。2015年に「指定難病」に承認されたのを機会に、ポルフィリン症研究の研究者および検査機関が増えることを願っています。(近藤雅雄、2025年5月1日、掲載)

PDF:患者の立場に立った教育・研究活動

ポルフィリン症の現状と課題:患者のQOL向上医療への提案

 指定難病ポルフィリン症は根治療法のない典型的な難治性疾患であり、患者は仕事がない・出来ない、高額な医療費を生涯負担し続けなければならないなどと言った不条理が続いている。
 また、医師はポルフィリン症と気付かずに診断が送れたり、誤診したり、また診断されても治療を拒否したり、妊娠・出産を否定するといったことが日常的に起こっている。
 そして、患者の多くが結婚、出産を控える。これらのことが過去から現在、そして、未来へも引き継がれようとしている。これらの問題に対して、患者家族が安心して社会生活ができ、安心して高度医療が受けられるよう、社会の理解が必要である。そして、それが実現されるよう早急な対策が望まれる。
 急性ポルフィリン症の男女比では女性の方がホルモンの関係で圧倒的に発症者が多い。一方で、9病型すべてのポルフィリン症は1920年に最初の報告があってから2010年までに926例が医学中央雑誌に記載されているが、誤診や診断されたとしても医師が報告しないなどの理由で、相当数の患者が未報告のままと思われる。実際はこの10倍前後(約1万人)の数値が推測され、その大部分は十分な治療を受けられないままと思われる。

 ポルフィリン症は光線過敏性皮膚症状や精神・神経・感覚、代謝・内分泌、肝・消化器、造血・循環器,筋・運動器、腎臓・泌尿器など、多彩な症状を呈することから早急な対応が求められる。そのためには、
1.「多彩な症状」に対応できる医師の不足と医療費の高騰。
2.希少疾患患者の立場に立った医療研究の激減。
3.診断が難しいなどの理由で誤診率の高い。
4.根治治療法がなく、対症療法が主であるが、禁忌薬が多く医薬品の対応が難しい。
5.患者のストレスに対する心身のケアーが不十分。
など、さまざまな問題に対する対応策を「現状と課題」として下記PDFに示した。
(近藤雅雄、2025年4月27日掲載)

PDF:ポルフィリン症の現状と課題

血液の稀少がん「原発性マクログロブリン血症」の概要

 難病の研究者として、血液のがんである超稀少疾患「原発性マクログロブリン血症」の発症率が100万人に2~3名という殆ど知られていない疾患であるが、診断されずに放置されている症例あるいは死亡例、診断されても医師が報告しない症例が多いのではないかと思われます。そこで、本症の診断、病態、治療、予後、Q&Aなどについて、総論として纏めました。
 血液学では、骨髄で生産されるB細胞(リンパ球)は形質細胞に分化し、ウイルスなどの異物に対する免疫グロブリン(抗体)を生産します。ところが、原発性マクログロブリン血症ではB細胞から形質細胞へ分化する途中のリンパ形質細胞ががん化(遺伝子変異)し、体内にて異物(抗原)を攻撃する免疫蛋白(IgGやIgAなどの抗体)が出来ず、攻撃能力のないIgM型M蛋白が異常に増加する疾患です。したがって、免疫力が低いため、感染予防には十分な配慮が必要です。

本原稿を執筆するに至った経緯は、患者数は意外と多いと思われ、早期発見を促したいことと、発見された場合に医師は情報公開を必ずするよう求めるのが目的である。
1.100万人に数人という超稀少疾患で、5年生存率が36~50%で根治は望めないことから、早く治療法が見つかるように様々なデータを記録として残さなければならない。
2.70歳以上の高齢者に比較的多く、合併症が死因となることが多い。しかし、早期診断によって合併症を防ぐことができる。
3.超稀少疾患のためか本疾患についての成書が見当たらない。そこで、筆者は患者向けの一般書を出版(下写真)したが、その一部を下記のPDFにて紹介した。
4.超稀少疾患は情報が少なく、標準治療法、臨床統計、疫学データが確立していない。医師は患者データを広く医学会や論文として公表していく義務がある。公表していない症例数も意外と多いと思われる。
5.病院の選択は重要で、がんは治療による副作用が多いため、多分野の専門医がいる総合病院に罹ることが望ましい。また、がん患者に対するチーム医療及びがん相談センターの取り組みが充実している病院を選ぶ。
6.原発性とは原因が不明ということである。しかし原因が不明である病気は存在しない。その原因を明らかにすべき研究の推進を期待する。特に、遺伝子治療薬の進歩が著しく、パンデミックで有名な新型コロナウイルスmRNAワクチン接種も本症の発症の誘因となることは否定できない。このワクチンについて、多くの事故、副作用、死者がでたが、政府・医療行政・マスコミは遺伝子医薬品バイオ医薬品)のリスク評価・総括がないまま感染症法5類に移行した。

 以上、医学研究の進展を期待して。内容は以下のPDFを参照して下さい。(近藤雅雄、2025年4月10日掲載)。
PDF:原発性マクログロブリン症(WM)

東京都市大学人間科学部の平成26年度入学式父母挨拶

 今日は孫が通う中学校の入学式です。
 漸く暖かくなり、桜満開で、まさに入学式には良い天候が続きます。そこで、これまでの入学式の挨拶の中で、忘れられない祝辞は多くありますが、その中から筆者の大学勤務の最期となった平成26年度の東京都市大学の入学式で人間科学部の父母への挨拶(以下のPDF参照)をあげました。
 学部長として満期の6年間、学部の運営・教育・研究業務を行い、中でも学部の改革として新学科及び大学院修士課程の設置構想案、さらに大学の組織・構造改革の提案など、いろいろな改革に向けた活動を行ない、大学及び法人組織への働きがけしたのを覚えています。
 それ以外に、社会的貢献として、難病患者の市民権を得る行動、難病制度の法改正を目指して国会議員及び厚生労働省の要職への陳情や面接、そして議員連盟を作って難病の現状を広く紹介すると同時に全国署名活動を行い60万人以上の署名を集め、厚生労働大臣に大臣室にて手渡したこと。その結果、新たな指定難病制度の法制化を実現することできたことは、大きな成果として、心の中に深く刻まれております。大変忙しい定年前の最後の年でしたが、大学を軸としたこれらの活動が大変充実していたことは幸せでした。(写真は都市大学近藤研究室にて。近藤雅雄、2025年4月8日掲載)
PDF:父母挨拶

「前へ」の詩:生きるために人生の目的をしっかり持つ

 1949年、団塊世代の最後に生まれ、戦後の急速な経済発展を経験し、小・中・高、大学時代、そして社会人として、仕事と仲間と環境に恵まれ生きてきた。平和な時代であった。
 時代が変わったのは2020年の「パンデミック」、そして、2022年の「ロシアによるウクライナ侵攻」、たった数年間で平和であった時代が大きく変わろうとしていた。
 古希を過ぎ75歳、終の人生を迎えるにあたって、過去の多くの出来事を記録し、後世に遺すことは、次代に生きる人に役立つかもしれない。また、生きるヒントになるかもしれない。しかし、「パンデミックと戦争」そして「ITやAIの急速な進展」による世界への影響、そして日本では「南海トラフ首都直下地震富士山の噴火など」の災害予測と「台湾有事」「関税問題」などと時代は逆行し、次代がどのようになるか想像がつかない方向へと突入している。

 人は誰にでも死は訪れる。死を考えた時、大切な言葉を一つ挙げるならば、それは「前へ」であった。死に行く者も、生きていればさまざまな喜怒哀楽、ストレスが日々変化して訪れる。それをうまくコントロールし、「前へ」突進む努力をする。そのためにも人生の目的を持って努力する。そうすれば、新しい景色を見ることができるであろう。そして、その景色が人類・人間社会にとって本当に幸せなものであるかもしれない。

 人間は、前向きで、素直に社会に貢献する謙虚な姿勢を持ち続けることが大切だ。それを行動に移し、新たな道を拓き、家族と共に生きて行く。そして、「1日でも長く健康で、おおらかに前へ生きる」、が最も基本的で豊かな人生といえる。そこに「感謝する人がいて、そして、感謝される」そういう人生は真に幸せである。
 添付したPDFに「人類と地球の世界平和に向かって「前へ」踏み出そう」という詩を掲載しましたので参照して下さい。 (近藤雅雄、2025年4月4日掲載)
PDF:前へ生きる{詩」

難治性疾患(難病)患者からの学び~難病制度改革と医療法

難病制度改革と医療法

 厚生労働省の職員(研究職)であった筆者は、厚生労働科学研究として37年間、先天異常(遺伝病)、各種難病や中毒の発症機序や診断・治療法の開発等の研究を行ない、患者の立場に立った研究・教育活動を普及してきた。
 しかし、これら難病については、いまだに医師および行政は正しい知識を得ていないのが現状だった。その結果、誤診による禁忌薬の投与などの誤った治療と十分な心身のケアーが得られず、毎年沢山の若い「いのち」を失ってきた。患者にとっては根治療法が開発されない限りいつも時間がない。限られたいのちの時間だけが過ぎていった。
 ヒトは遺伝子の異常を10個以上持って生まれてくると言われている。しかし、ほとんどの人が何の自覚症状もなく健康である。ところが、たった一つの遺伝子の異常が病気となって生まれてくる人もいる。これを先天異常と言うが、健常者と同じくこの世に誕生した大切な「いのち」だ。人間社会において、いのちを大切にするこころは人としての基本である。
 健康の反対が病気だが、これまで健康であった人が、病気になった時に、初めて健康のありがたさを思い、誰もが二度と病気に罹りたくないと思うものである。そしてそれが実現できる。ところが、病気を持って生まれてきた人はどうだろうか。患者は健康への願望、生きることへの願望、仕事への願望、いのちへの思いが、健康な人以上に強く、また、今日の人間社会に欠けている他者を理解し、思い遣るこころ、家族・友人を大切にするこころ、いのちの尊さと感謝の気持ちを強く持ち合わせている。健常者に足りないものを多く持ち合わせている。私たちは難病患者から人間として実に多くのことを学んできた。そして、人は必ず死ぬのだ。これからは、これまでに多くの難病患者から学んだことを基に、人とのコミュニケーションの大切さ、生きる力を表現していきたい。

わが国の指定難病制度

 昭和47年以来、綿々と続いた難病制度には認定方法や治療研究制度など、多くの問題を抱えていた。そこで、筆者らはこの制度を根本から変えるべく署名活動、国会議員への陳情活動(下記のPDF参照)、衆参両議員からなる議員連盟の設立など平成9年から様々な活動を行った。
 その結果、平成26年5月23日に「難病医療法」が成立、その後、「指定難病」が法制化した。
 すなわち、平成21年度、厚生労働省内で難病制度の見直しが行われ、平成26年8月28日に56疾病から110疾病が「指定難病」として追加・決定した。さらに、平成27年3月9日、厚生科学審議会疾病対策部会指定難病検討委員会は新たに44疾患を追加し、総計306疾患が5月中に正式承認・告示がなされ、7月から重症患者に対しての医療費助成が開始された。
 この「指定難病」制度法制化の契機となったのが、筆者を代表とした「ポルフィリン症患者会(さくら友の会)」の活動である。平成20年11月30日に難病認定の署名活動を開始し、全国から集めた総数は600,515筆に至った。この貴重な署名を家内と二人ですべてチェック・整理し、タクシーで厚生労働省へ運んだ。そして長妻昭元厚生労働大臣から始まって代々5名の元大臣に手渡した。私がこの活動に取り組んだ最大の理由は、国内の多くの「難病患者の命を守るための仕組み(法律)を作っておかなければならない」といった使命感だけであった。
 平成21年に民主党政権に移行してから漸く“難病対策の現状と課題について”の本格的な議論が始まった。平成25年に自民党政権に移行してからは、「難病医療法」が5月に成立、平成27年度から施行することが決まり、厚生科学審議会疾病対策部会の「指定難病検討委員会」が中心となり、指定難病の各要件(①治療方法が確立していない、②長期の療養を必要とする、③患者数が人口の0.1%程度に達しない、④客観的な診断基準などが確立している)を満たすかどうかの検討が開始された。昭和47年から平成26年度の約42年間に56疾患が難病として認定されてきたが、平成27年度に約300疾患に拡大し、対象患者をこれ迄の78万人《この中には希少疾患から外れるパーキンソン病(患者数約10万9千人)や潰瘍性大腸炎(患者数約14万4千人)なども含まれている》から150万人に増やし、患者数は人口の0.15%にあたる18万人未満を目安に決められた。
 これら活動の意義として、ポルフィリン症は極めて希な疾病であり、1920年に第1例が報告されてから今日まで約1000例の報告しかないという超希少な疾患であり、誤診や事故が後を絶たなかった。これが難病指定されれば、医師がこの病気を知る良い機会となり、誤診や事故を著しく減らすことにも繋がる。さらに、治療研究が加速することが期待される。そして、何よりも、これまではわけのわからない病気として無視されていたのが、「国が指定した難病」ということで、行政・社会での対応も一変し、真摯に注視されることが期待された。
 指定難病の法制化に関しては厚生労働省職員及び民主党、自民党の国会議員等、多くの要人と面会し、法制化に懸命に取り組んでくれた。ここに深謝する。(近藤雅雄、2025年3月4日掲載、4月4日追記)
PDF:難病制度法制化

健康と病気シリーズ10.精神療法として治癒力を高める言葉

 現代医療では精神療法として①行動療法、②認知療法、③対人関係療法、④精神分析、⑤精神力動的精神療法、⑥支持的精神療法の6種類に分類しているが、これらの治療に言葉が大切であることは言うまでもない。
 精神障害の原因は遺伝・生物学的要因(身体的要因)、心理的要因、環境的要因(社会的要因や文化的要因を含む)などが複雑に関わっていると考えられる。そこで、精神療法として、これら要因を取り除くことが出来れば自然治癒は増強すると考えた。そして、がんなど難治性疾患の自発的治癒を目的として言葉による治療をとりあげた。また、筆者が肺炎で入院した病院の現状についても以下のPDFに記した。(近藤雅雄、2025年3月28日掲載)
PDF:健康と病気シリーズ10.精神

国際鍼灸専門学校令和元年度コロナ禍,卒業生へのメッセージ

 卒業式のシーズンです。記憶に残る挨拶として、第2回目は国際鍼灸専門学校の令和元年度の卒業式です。この年の卒業式は前年11~12月以降に中国武漢市で発生した新型コロナウイルス感染が世界中に拡散、パンデミックとして大きな問題となったため、開催されませんでした。2019年から3年間、多くの学校で卒業式および入学式などの式典は中止または縮小、3年間式典を経験しないで卒業した生徒も多かった時代です。
 学園では、当初は卒業式を縮小して教職員による手作りの式典を企画し、3月19日まで準備に追われていましたが、感染が猛威を振るったため、残念ながら式典を中止せざるを得ないという苦渋の決断に至りました。卒業生の気持ちを考えると断腸の思いでしたが、未来を担う卒業生の健康を最優先しました。
 そこで、卒業生へのメッセージを作成し、配布しました。学生らには、卒後も、生涯学ぶことに最大の価値を置き、明るく、前向きに頑張って社会貢献することを期待しました。(近藤雅雄、2025年3月20日掲載)
PDF:令和元年度卒業式

鬼木医療学園 国際鍼灸専門学校の平成30年度卒業式祝辞

 卒業式のシーズンになりました。そこで、これまでの挨拶の中で、忘れられない祝辞は多くありますが、その中から2つを選びました。記憶に残る卒業式の挨拶として、1つ目は元校長を務めた国際鍼灸専門学校の平成30年度の卒業式です。
 筆者は校長としての運営・研究業務以外に、生徒には3年生の担任、生理学、病態生理学、栄養学、生命科学の講義、国家試験対策補講、病院やスポーツ、福祉施設などの各種見学の引率、飲み会などと、極めて濃く関わりました。そして、卒業に当たって、生徒らが私たち教職員宛に、教室の黒板に残したメッセージ『先生、事務の方々、3年間本当にお世話になりました。この充実した学生生活を、私たちは一生忘れません』とありました。このメッセージは、私たち教職員のこころに強く響き、次代を担うあん摩マッサージ指圧師・はり師・きゅう師(あはき師)の三療国家資格育成への自信となっただけでなく、大きな誇りとして、心の中に深く刻まれた瞬間でした。感動しました。(近藤雅雄、2025年3月19日掲載)

平成30年卒業式祝辞

難病専門外来の経験:医師と患者との関係「10の習慣」

 平成27(2015)年、港区内の某クリニック内に日本で初めて指定難病「ポルフィリン症」の専門外来が開設されました。診療は、毎月第4金曜日に済生会江津総合病院名誉院長の堀江裕先生が行い、それを見学させて頂きました。
 筆者はこの難治性疾患について、厚生科学研究者として厚生省・厚生労働省にて1971年以来37年間、臨床統計、発症機序、診断・治療法の開発等の先駆的研究を行い、2006年までに国内患者の70%以上を確定診断し、患者のホローとケアーを行いました。
 今回、クリニックの許可を得て患者さんの診察を見学させていただきました。その時の経験をもとに、感想や思い、そして私見ですが患者さんと接する時の心構えを「10の習慣」として纏め、以下のPDFに示しました。
(近藤雅雄、2025年3月18日掲載)
PDF:専門外来と患者

学校法人の社会的責任と理事長・校長に求められる資質

 学校法人の理事長は学校の設置者であり、学校を管理し、学校の経費を負担する責任を負っています。理事長に求められるものは、最高責任者として相応しい社会的責任を遂行することです。
 一方で、教学の最高責任者は校長です。そこで、高等教育機関のさらなる発展・進化を期して理事長の資質及び学校経営、理事長と校長の役割などについて、①学校法人の社会的責任、②理事長の資質、③理事長と学校長の役割に分け、基本的私見を述べました。
 現役の専門学校校長を退職してから5年が経ちますが(現在75歳)、以下のPDFに書きましたので読んでください。(近藤雅雄、2025年3月17日掲載)
PDF:理事長に求められる資質

人を育てる 「高等教育機関のリーダーに求められる37の習慣」

 高等教育機関とは、初等中等教育の次の段階の教育課程を提供する教育機関の総称で、学校教育法に規定される大学、大学院、短期大学、高等専門学校及び専門学校などが該当します。筆者は大学の学部長及び専門学校の校長としてリーダーを経験しました。

 高等教育機関はグローバルな視点を持って次代の社会貢献に不可欠な人材を育てるよう教育・指導していく義務があります。これら人材育成の要となるのがリーダーの教育方針・姿勢・品性です。人材育成とは才知ある人物、社会に役に立ち貢献できる個人を育てることです。すなわち、コミュニケーション能力が高く、物事をうまく処理できる人材、適正に活用することで活性的な組織を構築することができる個人の育成を指します。これら要求に適う高い人間性を持った次代を担う人材を育成する事が教育の使命です。

 高等教育機関の役割は建学の精神に立脚し、社会・国家・地球、人類の未来・発展に貢献できる人材の育成を行うことが最も基本的な社会的責任です。そのために、志を持って入学する学生に学校・教育生活の最終到達点、総結集として学士力を育て、卒業後はしっかりと国内外の社会に貢献できるよう、教育・研究に最大限のエネルギーを費やし、教員と学生の双方で教えることへの誇りと教わることへの誇りを共有し合うことが大切です。

 筆者が36年間にわたる厚生省・厚生労働省での教育・研究・運営の経験を踏まえ、東京都市大学の人間科学部の開設および初代学部長として就任した時に作成した37の習慣を以下のPDFに示しました。(2025年3月16日)
PDF:人を育てる

こころとからだの健康(19)社会の急速な変貌と大学教育

 戦後の急速な発展に伴い、大家族の「集団」から核家族の「個」の社会へ、住居は木造建造物から鉄筋コンクリートへ、さらに、食生活は日本型食生活から、欧米など世界中の料理を自由に取捨選択できる豊かな自由型食生活へと時代はおおきく急速に変化しました。
 このような「家族」「食」と「住」という生活の根源的な部分だけでなく、日本は世界でもまれな食品ロスが多く、自殺率の高い国となると共に国家や組織に対して無関心で、脆弱な国民が増加してきています。また、格差が増し、超少子・高齢社会という少数単位での生活環境がこころとからだをさらに脆弱化しています。
 こうした現実は、とくに次世代をになう子どもたちの「対人技術の発達の遅れ」など各種脳力の低下が起こり、日本の未来において計り知れないほどの損失が生じるという危惧感を抱きます。
 一方で、遺伝子を用いた治療法の開発や日常生活の中にITAI技術が急速に発展し、今まさに「こころとからだの健康」を重視した教育が必要になっています。
 大学教育が全入時代となった今日、大学の質保証向上に対するさまざまな改革、グローバル化が行われていますが、教養の空洞化が年々大きく拡大し始めているように感じてなりません。人間社会と科学技術の発展との間に大きなラグが生じているのが現状であると思われます。 (近藤雅雄、2025年3月15日発表)
PDF:社会の変貌と大学教育

難病患者と大学病院医師:超稀少疾患研究の推進を望む

 難治性疾患の患者を有名私立大学病院に紹介し、入院した時、5~6人の医師たちにぜひ症例報告をして欲しい旨をお願いしたところ、一人の医師が「本症についてはすでに多くの報告があり、本症を発表してもその価値がない」と述べ、笑われたことを覚えている。多くの医師が同じ考えであろう。医師からすれば、日常の業務が忙しく、これまでに報告がない新しい発見などがあれば率先して公表するであろう。よほど新しい内容がなければ発表しないものだ。

 しかし、本症について調べたが、100万人に数人の発症といった極めて症例数が少ないことから、情報も少なく、十分な臨床統計もないことがわかった。したがって、疫学も勿論ない。本症のような超稀少疾患については症例が見つかれば、これまでに報告されていても、必ず論文として、誰でも検索して見られるように公表することを義務付ける必要があるのではないか。また、医療関係者は患者がいればぜひ国内外の医学会や研究会で報告し、症例報告として記録を残してほしいと願う。患者によって症状や治療の効果も異なるはず。その事実が大切なのである。

 医師や患者も情報を知りたがっている。大学病院の医師は「報告する価値がない」と言っていたが、それが医学の発展を妨げる原因ともなる。情報は多い方が良いのに決まっている。特に超稀少がんなどの難治性疾患においては患者数が少ないことが原因で治療研究が進まないことが深刻化しているのではないか。また、公表しないことは稀少疾患に対する治療上の不都合な真実も疑われかねない。(近藤雅雄、2025年3月8日掲載)

健康と病気シリーズ 2.病気と日本人の死因統計とがん

 病気とはからだの全身または一部分に生理状態の異常をきたし、正常の機能が営めなくなる現象を言う。
 病気には必ず原因があり、それを早期に取り除き、症状を診断、診療ガイドライン(根拠に基づいた最良の治療、標準治療)に従って治療する。この時、病者のこころのケアーは不可欠である。一方で、多くの病気は自然治癒の力(免疫力と抗酸化力が鍵となる)で修復・回復される。
 ここでは、厚生労働省の日本人の死因統計からトップであるがんの動向とがんから学ぶ「いのち」について論文として纏めた。
 そこで、たとえ不治の病であっても、最期まで、生きることをあきらめないこころ、いのちを大切にするこころ、人を思いやるこころ、感謝のこころを失ってはいけない。そして、同じいのちは一つしかないという、いのちの重たさと尊さを学んでほしい。以下のPDF参照(近藤雅雄、2025年2月22日掲載)  PDF:健康と病気2

血液のがん「原発性マクログロブリン血症」の診断と治療

 血液のがん「原発性マクログロブリン血症(WM)」は難治性の超希少疾患だ。根治療法はないが、分子標的薬リツキシマブ点滴薬、イムブルビカやベレキシブル等の経口薬が開発されている。筆者は、骨髄赤芽球のヘム合成調節に関する研究を行なったが、恥ずかしながらこの病気は聞いたことがなかった。そこで、まずこの病気はどういう病気か、診断、病態、治療、予後、Q&Aなどについて纏めた。

執筆に至った経緯(趣旨)は
①本疾患が100万人に数人という超稀少疾患であり、5年生存率36~50%で根治は望めない。
②70歳以上の高齢者に比較的多く発症する。
③大学医学部附属病院でのがん治療の意義。
④新型コロナウイルスmRNAワクチン接種のリスクと政治・行政。
⑤病は気から、健康と病気、自発的治癒の経験。
⑥超稀少疾患のため、標準治療法、臨床統計、疫学データが確立していない。
⑦本症に対する研究があまり行われていない。などが主な理由です。
 本書は本症患者と真面目に治療に専念している血液がん専門医師および大学医学部図書館に寄贈することを目的として創作した。 令和6(2024)年3月、近藤 雅雄
 超稀少疾患である本症に関して、血液学の専門家は広く知られるようになったが、一般にはほとんど知られていない。それは、本症に対する論文報告や症例報告が少ないことが大きな理由である。医療関係者は患者データを公開、徹底的に追求して真理を追究してほしいと願う。それは医師の義務であると思う。

PDF:原発性マクログロブリン血症HP、目次
本書は自費出版物です。

夢には第1の夢から第4の夢まであり,その夢の違いを解剖した

 人は生涯を通して多彩な夢を見る。広義には記憶に関わるもの(睡眠中に見る)と生きるための活力となるといったもの(将来の希望)の2種類があり、どちらも社会生活上重要である。本稿では、この夢に新たに2つを加えた4つに分類し、筆者の経験に基づき、その生理について考察した。
第1の夢レム睡眠中に見る無意識の夢であり、喜・怒・哀・楽・愛・悪・欲の7情に関するものが多い。
第2の夢は睡眠中に見るものではなく、将来の希望や人生の目標と言ったものを指す。目標を設定し、強い意志でそれに立ち向かえば夢は叶えられることが多い。
第3の夢は寝る前とレム睡眠時に強く意識したことが夢となって現れ、新たなアイデアや発想が浮かんでくることがある。強い意志が夢を呼ぶのだ。
第4の夢は死に直面した無意識の夢「忘却の物語」である。現実世界と死後世界の境界である。いわゆる臨死体験だが、この体験には「川」「光」「闇」の出現が広く知られている。
「人生は夢と共にあり、夢と共に消えゆく」夢が人生を変える。ならば、楽しい夢のある夢を見て生きて行きたいものだ。
PDF:夢23.10.22.vir1doc

昭和,平成,令和時代を生きた人生の道しるべ,「前へ」出版

 本書は、筆者が国立公衆衛生院・国立健康・栄養研究所・東京都市大学・国際鍼灸専門学校で経験した研究者・学者人生を追懐した。昭和から平成、令和の3時代を生き、そして、古希を過ぎ、終の人生を迎えるにあたって、過去の多くの出来事を記録し、後世に遺すことは、次代に生きる人の「人生の道しるべ」として役立つかもしれない。また、生きるヒントになるかもしれない、終の人生を世話になった人への感謝と次代への引継ぎとして本書の創作を企画した。
 人は誰にでも死は訪れるものだ。これまで幸せな生活を送り、突然に「死を宣告」された時、大切な言葉を一つ挙げるならば、それは「前へ」であった。死に行く者も、生きていればさまざまな喜怒哀楽、ストレスが日々変化して訪れる。それをうまくコントロールし、「前へ」突進む努力をする。人間は、前向きで、大切なものをこころに持ち、素直に社会に貢献する謙虚な姿勢を持ち続けることが大切だ。それを行動に移し、新たな道を拓き生きて行く。そして、「1日でも長く健康で、前へ生きる」、「家族のため、社会のために頑張る」が最も基本的で豊かな人生といえる。さらに、そこに「感謝する人がいて、そして、感謝される」そういう人生は真に幸せである。

 本書は、勉強が嫌いな子どもが、高校に進んでから勉強が好きになり、多くの良き人間に恵まれ「学び」を生涯の職として生きる人生の記録集である。第1章は過去の忘れられない時代を検証した。第2章は筆者の主な先駆的な研究の成果を記し、次代への参考とした。第3章は健康寿命の延伸とQOL向上を目指し、自発的治癒の重要性と新たな病気に侵された筆者の挑戦について記録した。第4章は平成19年以降、教育機関などで行った挨拶を「こころのメッセージ」として綴った。第5章は昭和、平成、令和の時代を駆け巡った教育・研究者としての実録と「人生の道しるべ」となった人々との出会いを回想した。第6章は家族、恩人、友人などへの感謝と伝えたい言葉、夢を見ることの重要性、そして、多くの人への感謝をこころ込めて綴った。
(令和5(2023)年8月 近藤雅雄、B5版、216頁)