教育回想13.国際鍼灸専門学校を創設し,三療を普及した偉人

海を渡った偉人、鬼木市次郎先生の学園創設と国際貢献

 鬼木先生は“あはき”の国際的発展をめざし、世界を渡った偉人として有名です。
 盲人文化史年表(1992年)には『鬼木市次郎氏(1912~2007年)の両親はペルー移民。十代で視力が低下し、1928年福岡県立柳川盲学校入学。卒業後、1934年満州に渡って治療院を開業、1946年に帰国。1954年東京で開業。1957年には日本マッサージ学校の創設。1973年、父母の墓参のためペルーへ、これを機に、南米に三療を普及させ、盲人に三療の技術を身に付けさせようと活動を開始。1990年、ブラジルのサンパウロに伯国盲人国際交流教育協会を組織し、1994年鬼木東洋医学専門学校を開校しました。同校には診療所も併設されている。』と記載されています。
 また、ニッケイ新聞2007年4月6日付では、『鬼木さんは1990年、サンパウロ市に伯国鬼木東洋医学専門学校を創立し、ブラジルの視覚障害者の職業自立に力を注ぎました。同校は93年に聖州(サンパウロ)教育局の認可を取得。当初は視覚障害者の自立支援を大きな目的としていましたが、現在は健常者も学んでいるそうです。さらに、米国カリフォルニア大学の東洋医学名誉博士、中国鍼灸もぐさ協会の評議員を務めるなど、国際的に広くご活躍されました』とあります。
 また、「知られざる日本人 南北アメリカ大陸編 ―世界を舞台に活躍した日本人列伝,2007」(太田宏人著)では野口英世と共に紹介されています(下記PDF参照)。
 筑波大学人間総合科学研究科の中田英雄教授は1997年にサンパウロで開催された第10回国際視覚障害者教育会議で鬼木氏と会い、ブラジルでの活躍に対して「鬼木夫妻を駆り立てたものは何なのか、未だに自問している」と述べています。

 このように、先生は国内外にて盲人教育に貢献しました。そして、国内では上野に「日本マッサージ学校」を創立、1967年には、はり師、きゅう師を加え、三療体制となりました。1970年、現在の葛飾区立石に移転、国際鍼灸理療学校と改称、1979年には国際鍼灸専門学校と改称し、医療専門課程の専修学校となりました。1987年4月には同区青戸駅前に青戸校舎を建設し、国内外で“あはき”医療の普及に貢献されました。

 筆者は1990年、同校の栄養学非常勤講師時代に先生とお会いしましたが、前向きで、アグレッシブながら謙虚で大変立派な医療人でした。そして、先生の後を継いだ理事長、故鬼木和子先生、故鬼木誠一郎先生、そして現在の鬼木縁先生、皆、大変謙虚で立派な人格者です。そして、3つの国家資格(あはき師)取得に向けた素晴しい教育が行われています。皆様との沢山の良きご縁・思い出に感謝します。あはき師、三療を目指す人は多くの超優れた卒業生を輩出した伝統ある学園で、最高の講師陣、教育の質・環境の下、学ぶことができます。また、素晴らしい同窓会があります。(元校長、2025年10月8日掲載)
PDF:知られざる日本人