研究回想3.研究の道しるべ、持続した発見と社会貢献

 教育・研究者として、その業績数は学術論文、著書、国際会議講演、国内学術会議講演、招待講演、特別講演、教育講演、依頼論文、学術報告者、特許、競争的研究費の獲得、学位(学士、修士、博士)研究・論文指導、民間企業研究指導、国家及び地方公務員・留学生への教育・研究指導、新聞・雑誌・報道・テレビ・映画等マスメディアへの出演・執筆依頼、教材など、公開された印刷物などは全部で1,500件を超える。
 学術論文の内、査読付きが238件、その内訳は、英文90件、邦文148件、国際会議論文63件、論文の国際的価値として総インパクトファクター 250以上、引用件数は国内外にておそらく5,000論文前後に至る。査読付きの学術論文は投稿雑誌の編集委員会にて、必ず2名以上の専門家による審査が入り、オリジナリティがあるかどうか、原著論文として適切かどうかなど、厳しく審査される。その結果、reject(却下)か、accept(許可)か、または修正すれば許可する(acceptable、条件付許可)の3つのどれかの判定が著者に送られてくる。したがって、公開された査読付き論文はすべてオリジナリティがある。主な研究成果をPDFに示しました。

 学生時代に立てた目標は30歳までに自分の道を見つけることでした。そこで、猛烈に仕事をして、30歳時までに「骨髄δ-アミノレブリン酸(ALA)脱水酵素インヒビターの発見」、「鉛中毒時の酵素異常の発見とその機序の解明」、そして「晩発性皮膚ポルフィリン症の酵素異常の発見」といった世界で初めてを3つ経験しました。いずれも日々の実験の積み重ねから見出した、まったくの偶然の発見でしたが、これが研究者としての自信につながり、何の抵抗もなく、自然と研究者の道を歩むこととなりました。

 新しき事を見出すということはonly oneになること、number oneではなくonly one にこだわりました。その一つとして、私が経験したのは最も基本的な測定(分析)技術の開発でした。他の研究者が開発した測定法を基本に戻って再検討するとうまくいかない事があることを見出しました。それは、鉛中毒の生体影響の指標として用いられてきたALA脱水酵素活性の測定法は1955年に開発されて以来、現代まで何の疑問・疑いを持たず世界中の研究者によって利用されてきました。その方法を基本に戻って測定し直すと新たな問題が沢山出てきた。そこで、測定法を新たに開発し、実験するとこれまでの定説と異なった新たな発見が次々と成された。この内容については、昔「生化学若い研究者の会」で特別講演を行い、若手研究者の興味を誘いました。

 私は、事を成すにはまず基本に戻って十分に準備をすることが大切で、これが新たな発見に繋がることが多いことを経験しました。気が付けば1,500件以上の業績を出したことは感慨深いことです。21歳時からエネルギーを教育・研究と論文執筆に最大限投入し、1日12時間以上様々な学びの好奇心を持って基礎から応用研究を行なってきました。76歳となった今でも、この「健康・栄養資料室」に論文を書き続けています。学ぶことに最大の価値を置き、新たなonly oneのモノ創りを生涯の仕事として位置付けた自分の人生であり、社会への貢献です。

 また、社会貢献の立ち場からは、これまでに学術研究会と学会の創設と運営、学術雑誌の創設と運営、大学新学部の立ち上げ・運営・教育、医療系専門学校の改革・運営・教育、難病の患者会の創設と運営、日本で初めての指定難病制度の立ち上げに関わることができたことは望外の喜びです。(近藤雅雄、2025年7月18日掲載)
PDF:研究の道しるべ、公開された主な研究成果