1.ポルフィリン研究会創設の思いと経緯
1970年代、衛生学領域では低濃度鉛曝露によって赤血球ポルフィリン代謝の2番目の酵素δ-アミノレブリン酸脱水酵素(ALAD)活性が鋭敏に減少することから、鉛の生体指標として注目されていました。そこで、順天堂大学医学部衛生学教室千葉百子先生、東京労災病院坂井公先生などと勉強会を発足しました。そして、1986年12月13日に鉛作業者の職業検診時における鉛の曝露指標として赤血球ALAD活性を候補の一つに取り上げ、測定法の検討やその意義について、デ-タの収集や意見交換を行う目的でALAD会が発足、その後、ALAD研究会となりました。
さらに、聖マリアンナ医科大学衛生学教室の工藤吉郎教授、千葉大学医学部衛生学教室平野英男助教授、大道正義講師、明治薬科大学梶原正宏教授等が加わり、ALADだけでなくヘム生合成経路およびその代謝全般に広がり、国立公衆衛生院の浦田郡平先生を代表世話人としてポルフィリン・ヘム研究会、ALAD-ポルフィリン研究会と名前が変わり、1988年7月16日に漸く「ポルフィリン研究会」として定着しました。そして、1991年12月に研究会が全国組織になるまで、順天堂大学、公衆衛生院、聖マリアンナ医科大学で合計14回、研究会を開催しました。研究会は毎回、報告書を刊行すると共に、梶原先生が赤血球プロトポルフィリン標準物質を作成し、順天堂大学、東京労災病院、聖マリアンナ医科大学、そして国立公衆衛生院との4施設共同研究によって鉛作業者の検診に重要な測定法の標準化を行い、発表しました(産業医学34(3):236-242,1992)。
これまでに、ポルフィリンに関連する研究者は医学、薬学、工学、理学、農学、環境学などを専門とする分野と多く、これら他分野の専門家が一つの土俵の上で議論する機会はありませんでした。医学に限っても、血液学、皮膚科学、肝臓学・消化器学、小児科学、神経学、衛生学、病理学、救急医学、臨床代謝学、臨床検査学、診断学など多分野でそれぞれ独自の研究が成されていました。そこで、これら専門分野の境界を取り除き、ポルフィリンという共通物質で議論することからいろいろな研究の連鎖・進展が得られると考え、規約を作成し、全国組織として参加を公表しました。その結果、全国から産官学の研究者が数百名結集し、1991年12月14日にわが国で初めてポルフィリンという化学物質を基に多分野の専門家からなる学術研究組織「ポルフィリン研究会」が創設されました。
その成果の一つとして、多分野の研究者に分担執筆をお願いし、研究会編集による成書、遺伝病・がん・工学応用などへの展開として「ポルフィリン・ヘムの生命科学」を(株)東京化学同人から出版しました(現代化学増刊27、1995年5月10発行) (下写真)。
2.ポルフィリン誌の創刊
研究会発行の学術雑誌「ポルフィリン, Porphyrins」第1号を1992年7月25日に創刊、これを季刊定期刊行物として2011年、第19巻「Porphyrins」まで発行されました。筆者が出版に関わったのは第14巻までで、第15巻からは東京工業大学大学院大倉研究室内に事務局が移動しました。また、2012年からは組織が変わり、「ALA-Porphyrin Science」として第1巻が刊行され、現在に至っています。(近藤雅雄、2025年6月8日掲載)
PDF:ポルフィリン研究会の創設
